retro48長崎とは
戦後4年目GHQ占領下の日本、原爆投下により壊滅的な被害を受けた長崎にいち早く建設されたのが1948年設計の48型団地である旧魚の町団地。
実際に人々が暮らしてきた集合住宅の一室を、宿として再生しました。

泊まるためにつくられた昭和ではありません。
retro48長崎があるのは、戦後間もない長崎に建てられた旧魚の町団地です。
昭和風に新しくつくられたホテルではなく、実際に人々が暮らしてきた集合住宅の一室を宿として再生しました。

戦後の長崎に生まれた、集合住宅。
旧魚の町団地は、1948年(昭和23年)に設計され、1949年(昭和24年)に竣工・入居が始まった公営住宅です。戦後に建設された公営住宅としては、現存する最古のうちの1つとされています。
当時の長崎市は、戦前5万1千戸あった住宅のうち、原爆で約1万8千戸を失いました。戦後、疎開先から戻る人や引揚者で人口が急増し、深刻な住宅不足に陥ったことが、この団地が建設された背景です。
建物は鉄筋コンクリート造4階建て、24戸。各戸には8畳・6畳の和室や台所、トイレがあり、地下倉庫も備えています。当初は浴室がなく、昭和53年(1978年)に階段部分へ浴室が増築されました。
2019年(平成31年)まで県営住宅として使用され、その後、県から民間事業者による活用へと貴重な建物は引き継がれています。
「48型」と呼ばれた住まい。
旧魚の町団地は、戦後初期の公営住宅設計の試行の中で生まれた「48型」と呼ばれる型式の特徴を残す建物とされています。
同じ型式の団地で現存が確認されているのは全国でもごくわずかで、資料や調査時点によって数え方に差がありますが、静岡・広島・下関・福岡・長崎などで確認されています。
かつて長崎市内には、よく似た「中川町団地」もありましたが、こちらはすでに解体されており現存していません。旧魚の町団地は、当時の住宅設計と暮らし方を今に伝える、数少ない実例のひとつです。
この建物そのものが、最大の展示物です。
retro48長崎で体験していただきたいのは、部屋の中だけではありません。
階段、廊下、窓、壁、コンクリート。
戦後の長崎で人々が実際に暮らしてきた集合住宅そのものが、retro48長崎の大切な一部です。


旧魚の町団地から、「魚ん町+」へ。
現在、旧魚の町団地は「魚ん町+」として再生・活用されています。
建物を取り壊して新しくつくり直すのではなく、歴史や空間を活かしながら、シェアキッチンやコワーキングスペースなど、新しい活動が生まれる場所へと変わりつつあります。
retro48長崎も、その一室を宿泊という形で次の時代へつなぐ取り組みのひとつです。
魚ん町+はココトト合同会社により運営されています。
retro48長崎は、魚ん町+から賃借契約を行い、長崎出身の女将の手によってリフォームを行い宿泊事業を行っています。
retro48長崎は山梨県で農業体験民宿4軒を営む小野洋蘭果樹園が運営を行っています。
運営者・小野洋らん果樹園の活動を見る→
保存された一室を、3Dで歩く。
旧魚の町団地には、保存状態の良い住戸が残されています。
下の3Dビューでは、その保存住戸の室内をオンライン上で自由に見て回ることができます。
retro48長崎の219・220号室が、どのような建物・間取りの中にあるのかを知る手がかりとして、ぜひご覧ください。
※この3Dビューは、旧魚の町団地の保存住戸(423号室)を記録したものです。retro48長崎219・220号室そのものではありません。
2つの部屋、2つの時間。
219号室「からすみ部屋」と220号室「かすてら部屋」。
同じ建物、同じ間取りをもとにしながら、それぞれ異なる時代と物語を持つ2つの客室です。


219|からすみ部屋は、本と音楽のある、もうひとつの昭和長崎。長崎生まれの作家カズオ・イシグロの作品世界に着想を得て、古い本やレコード、ステレオとともに静かな時間を過ごせる部屋にしました。219号室とカズオ・イシグロを読む
220|かすてら部屋は、軍艦島を舞台にしたドラマ『海に眠るダイヤモンド』に心を動かされた女将が、結ばれなかった鉄平と朝子の「もしもの結婚後」を思い描いて作った客室です。もし、鉄平と朝子が結婚していたら。
廊下、階段、窓、コンクリート、部屋の大きさ。
建物そのものも、retro48長崎で味わっていただきたい体験の一部です。
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