全国に残る48型

全国にわずかに残る、48型の住まい。retro48長崎もそのひとつです。

全国にわずかに残る、48型の住まい。

長崎だけじゃない、48型のいま。

1948年に設計された、戦後初期の公営住宅設計の試行の中で生まれた「48型」は、戦後の住宅不足を解消するため、全国14都市に約74棟建てられました。奥原智裕氏の研究では、公営住宅の「標準設計48型」として整理されています。

その後、老朽化にともなう解体が進み、現存が確認されているのは静岡市・広島市・下関市・福岡市・長崎市の5か所、6棟です(参考:奥原智裕「戦後復興期のRC造集合住宅『48型』の現状と生活実態に関する研究」、日本建築学会研究報告九州支部, 2023)。

なお、48型の現存状況については、資料や調査時点によって数え方に差があります。ここでは上記の調査をもとに、確認できている6棟をご紹介します。

retro48長崎のオーナーは、この6棟すべてを実際に訪ね歩きました。ここでは、その旅の記録をもとに、長崎以外に残る48型の「いま」をご紹介します。

静岡市「羽衣第一・第二団地」

静岡市羽衣第一団地

静岡市には、48型が2棟現存しています。羽衣第一団地・羽衣第二団地です。

訪れてまず驚くのは、その綺麗さ。改装が施されているとはいえ、80年近い建築物にはとても見えません。今も多くの世帯が暮らす、現役の団地です。

この団地は4棟が連続して建てられており、西から新通団地(49型)、羽衣第二団地(48型)、羽衣第一団地(48型)、駒形団地(49型)と並んでいます。48型は階段を上ると正面に玄関がある間取りですが、49型では左右に分かれます。すぐ隣に両方の型式が並んでいるため、その違いを見比べられる貴重な場所でもあります。

羽衣第一団地北面、外壁の配管
隣接する49型団地の入口。左右に分かれる間取り

静岡市羽衣団地の記事を見る(note) →

広島市「平和アパート」

広島市営平和アパート1号棟(48型)

広島市営「平和アパート」は、3棟が連続する団地のうち、最も北側の1号棟が48型にあたります。

南側の3号棟には、原爆詩人・峠三吉が1953年に亡くなるまで暮らしていました。団地の正面には、峠三吉が「河のある風景」に詠んだ京橋川が今も静かに流れています。

被爆から2年目という早さで建設が始まったこの団地は、広島・長崎という被爆地に「燃えない住宅」が求められた同じ経緯を物語っています。それは、関東大震災後の東京に同潤会アパートが建てられた設計思想とも重なるものです。

峠三吉碑
平和アパート正面を流れる京橋川

広島市平和アパートの記事を見る(note) →

下関市「清和園住宅」

下関市清和園住宅全景

本州最西端、山口県下関市。フグの取引で知られる唐戸市場からほど近い高台に、48型公営住宅「清和園住宅」があります。

見るからに古く、人が住んでいる気配はあるものの、ほぼ無人に近い状態。今後の改修や解体をめぐる議論も進んでいるようです。

建物の北側に回ると、増築されたとみられる浴室棟の煙突が確認できます。旧魚の町団地が北側に増築できなかったのは、隣接する住宅とのあいだに土地の余裕がなかったためと言われており、同じ48型でも敷地条件によって増築のかたちが異なることがうかがえます。

清和園住宅北側、増築された浴室棟

下関市清和園住宅の記事を見る(note) →

福岡市「店屋町アパート」

福岡市店屋町アパートの階段入口

福岡市に残る店屋町アパートは、他の5棟とは少し性格が異なります。1階が店舗になった「商店併用型」の建物で、階段を上った先の入口も左右に分かれ、次の標準設計である49型に近い間取りです。

竣工は48型の設計年(1948年)の翌年1949年。福岡市が独自の施策で建てたとされ、48型の「亜種」として扱われることもありますが、他に類を見ない歴史的建物であることに変わりはありません。

現在も居住者がいるため、外観の見学にとどめています。

福岡市店屋町アパートの記事を見る(note) →

6棟の中で、泊まれるのは長崎だけ。

静岡・広島・下関・福岡の48型は、いずれも今も人が暮らす現役の住宅、あるいは居住者のいる建物です。外から眺めることはできても、中に入って過ごすことはできません。

旧魚の町団地(現・魚ん町+)が県の方針で保存・活用の対象となり、宿泊施設として再生されたことで、retro48長崎は、全国に残る48型の中で唯一、実際に泊まって過ごすことができる場所になりました。

写真や記録だけでは伝わらない、48型の畳の感触、台所の広さ、玄関を上がる段差。そのすべてを、ここでは体験として味わうことができます。

← 48型とは、のページに戻る


もっと知る

← retro48長崎 TOPへ戻る