中川町団地と、戦後長崎の集合住宅

カズオ・イシグロの記憶をたどる、長崎の集合住宅の物語です。

カズオ・イシグロの記憶をたどる。

カズオ・イシグロは、長崎市新中川町にあった中川町団地の近くで、幼少期を過ごしたとされています。中川町団地そのものに暮らしていたわけではありません。ここでは、彼が幼少期を過ごした当時の長崎にあった集合住宅文化について、確認できている事実を中心にご紹介します。

戦後長崎の住宅不足

戦前、長崎市内には約5万1千戸の住宅がありましたが、原爆により約1万8千戸が失われました。戦後、疎開先から戻る人や引揚者が急増し、深刻な住宅不足に陥ります。この状況を解消するため、全国の被災都市と同様、長崎でも公営住宅の建設が急がれました。

RC集合住宅が生まれた時代

火災に強い鉄筋コンクリート(RC)造の公営住宅は、戦後の住宅不足を解消する手段として各地で建設されました。1948年に設計された「48型」もそのひとつで、長崎市の旧魚の町団地(現・魚ん町+、retro48長崎のある建物)はその現存例です。詳しくは「48型とは」のページをご覧ください。

新中川町について

カズオ・イシグロは1954年、長崎市新中川町に生まれ、1960年に家族とともにイギリスへ渡るまで、この地で幼少期を過ごしたと伝えられています。

新中川町には、中川町団地と呼ばれる集合住宅がありました。ただし、イシグロ一家がこの中川町団地そのものに暮らしていたことを示す資料は確認できていません。記録の上では、中川町団地の近くの住宅で幼少期を過ごしていた、という整理にとどめています。

幼少期の長崎の記憶との関連

長崎新聞など地元メディアの報道では、イシグロ作品に描かれる団地の情景について、「モデルは長崎ではないか」「幼少期に見た同タイプの団地が現存している」といった分析が紹介されています。ただし、これらの報道自体が「魚の町、あるいは新中川町にあった団地の情景が反映されているのではないか」という推測にとどまっており、特定の建物を断定するものではありません。

2025年に公開された映画『遠い山なみの光』では、監督が旧魚の町団地(retro48長崎のある建物)を訪れ、美術セットづくりの参考にしたことが報じられています。これは、物語の世界と現実の建物とがつながった、記録に残るエピソードのひとつです。

いずれの報道も、イシグロ本人が中川町団地や旧魚の町団地に実際に暮らしていたと述べているものではありません。

魚の町団地との違い

新中川町は、あくまでカズオ・イシグロが生まれ育った地域の地名であり、中川町団地はその近隣にあった集合住宅です。旧魚の町団地(retro48長崎の建物)とは、場所も建物も異なります。イシグロ本人が中川町団地や旧魚の町団地に実際に住んでいた、という記録は確認されていません。

それでも両者は、同じ長崎市内、同じ戦後という時代に建てられた集合住宅として、狭い面積の中に生活機能を詰め込んだ設計思想や、当時の暮らし方という点で共通しています。retro48長崎が伝えたいのは、「ここがイシグロの生家だ」という特定ではなく、「彼が幼いころに見ていたであろう時代の空気」です。

同じ時代の長崎に残る住宅の記憶

中川町団地をはじめ、新中川町にあったとされる当時の集合住宅の多くは、すでに解体され現存していないと考えられます。一方、旧魚の町団地は現存し、今も内部に泊まって過ごすことができる数少ない実例です。現存状況の詳細は「全国に残る48型」のページをご覧ください。

イシグロ作品に漂う「記憶の中の長崎」を、写真や文章だけでなく、実際に歩き、一晩を過ごす体験として味わえること。それが、219号室という部屋を通じてretro48長崎が届けたい体験です。


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